【本】『猫楠ー南方熊楠の生涯』水木しげる
引越す部屋の片付けをしている。
本を処分しようと思って仕分けをするが、これがなかな難しい。
まだ読んでいない本は、基本的に持って行く。
一度読んだ本の場合は、手元に置いておきたいというものは持って行き、それ以外は処分する。
しかしこの、「手元に置いておきたい」というのが曲者で、読んで面白かったという記憶はあるけど、内容はあまり覚えてないという本がほとんどなんだ。
そういう本はどうも捨てづらい。
それでいて、取っておいたとしてもたぶん再読はしない。
この問題の解決策として、やっぱり読んだ本の感想を書いていこうと思う。
簡単に。嫌にならない範囲で。
ーー・ーー・ーー・ーー・ーー
南方熊楠。
みなみかただと思っていた。
みなかただった。
中沢新一あたりの本でその天才・奇才は聞きかじっていたけど、実際どういう人だったのか、何をした人なのかはよく知らなかった。
粘菌の研究ってなんだよ?
最近個人的に注目している水木センセイが、丁度いい伝記漫画を描いてくれていた。
このマンガから、二人の共通点みたいなものがぼんやりと見えてくる。
「あいだ」というもの、こと。
生と死のあいだ。
この世とあの世のあいだ。
昼と夜のあいだ。
自分と他人のあいだ。
そういう「あいだ」にいるのが粘菌であって、妖怪なんでは。
そしてそういう存在は、西洋的な「科学」や「理性」では捉えきれないものなんでは。
語り手である猫の猫楠が「自然は一つにつながった全体のことだ」と言ってたのが印象的だった。
その「全体」にナイフを入れて分割するのが「理性」であり「科学」であって、そうやって分割することで人は自然を理解している。
その分割が揺さぶられたとき、分断面の揺らぎのなかに、妖怪が現れてくる。
彼は誰時に妖怪は現れる。
粘菌の研究については、結局よく分からなかった。