【映画】『シング・ストリート』『はじまりのうた』ジョン・カーニー

完全にジョンカーニー監督のファンになってしまった。これまで、好きな映画監督と言える人はあんまりいなかったけど、この人は、今後の作品も追い続けようと思えるような監督だ。「信頼できる」映画監督だ。

 

『シング・ストリート』は飯田橋ギンレイホールで観て、その三週間後くらいに川越のスカラ座でまた観た。同じ映画を映画館で二度観るのは生まれて初めて。それくらい良かったのだ。

 何よりも、「共感」があった。物語のエピソードに対する共感。主人公に対する共感。両親の口論の声が階下から聞こえてきて、それをかき消すためにギターを鳴らす。そんなシーンを観ると、涙ぐんだ目でニヤつきながら「あるある」と言いたくなってしまう。(『はじまりのうた』にも同様のシーンが出てきた。おそらく監督の実体験なのだろう。)

少年は、外界の音を遮断するために音楽を必要とした。自己防衛の手段としての音楽。断じて不純な動機ではない。むしろ、音楽のそういう性質の中に、音楽の真実があるような気がするのだ。

そういう共感が根底にあるものだから、作品の直球すぎるほど直球な希望のメッセージも、抵抗なく受け入れられる。荒波の中を漕ぎ出すのだ。後ろを振り向かずに。

 

『はじまりのうた』は、冒頭の演出にやられてしまった。友人に無理やりステージに上げられ、気が進まないままに、電車自殺の歌をうたう若い女。ドン引きする観客の中でひとり感動の涙を流す、薄汚れた格好の中年男。回想シーンが始まり、その背景を明らかにしていく。その手法の鮮やかさに、一気に引き込まれる。そして、女の歌を聴いているときの、男の脳内イメージの描写だ。あれは素敵だ。男の音楽への愛が伝わってくるし、何より音楽自身の持つ「喜ばしさ」みたいなものが詰まっている。

二人がイヤホンのスプリッター(分配器)で同じ音楽を聴きながらニューヨークの街を歩くところも良かった。「音楽はありふれた景色をロマンチックなものに変える。」その通りだ。思うところあってイヤホンを付けることを自分に禁じているが、久々に音楽を聴きながら散歩をしてみようか。

 

お尻がむずむずし始める。何かしたい。映画に火を付けられた。